春の朝。みた夢は‥、

今日から4日間、連休です。
「初日はゆっくりでいいわ、」と二度寝したら、久しぶりに夢をみました。



どこで知り合ったのかは分からないけれど、どこかの旅行グループと一緒に夜桜をみて、何となく、仲良くなりました。

成り行きで、宴会の席に参加することになったのだけど、
自己紹介をするという時になって、このグループは、外国語のサークルだということに気がついた‥。


おっと、大変、私、話せません。でも、何語なの?
見渡すと、何故か側にパンフレットが。(夢ですから‥、)
覗いてみたらアラビア語でした。


やったねぇ~、アラビア語!
「ギリギリセーフだわ。」


昔、昔、二十数年前。
息子が小学生になった年に、ほんの思い付きで習ったことがあるアラビア語。自己紹介位は出来るはず。
「初参加の方から、」と言われて、


「アッサーラーム.アレイクム。」

でも、これだけじゃダメね、何か言わなくちゃ‥、
あれー、動詞の変化がわからない。
もたもたしながら、皆の視線で気がついた。ここは上級クラスだったったんです。💦


と、その時、
「〇〇さん、おりますか~、」
「ハイ、私です」
「職場から伝言です。発注ミスで、キャベツが130個、届いたそうです。“大至急戻って下さい!“ とのことでした。」


もちろん、直ぐに逃げ出しましたよ、旅の恥はかき捨てです。
(でも、どうして私の居所わかったの?)



ところで‥、

              
キャベツが130個って何のこと?


ああ、そういえば‥、
思い出しましたよ、20年近く前のこと。
(でも130個ではなくて、13個だったわ。)


私、数年間、某とんかつ店の路面店の店長していましてね、
3個発注したはずのキャベツが13個届いたことがあったんです。
近隣のお店に片っ端から電話して、なんとか、引き取って頂けましたけど、朝から大忙しでした。


さて、夢の中。
道に迷いながら駅には着いたけど、駅の路線図を見ても、見覚えもなく。


「ここはいったいどこで、今はいつなのだ~、」
と考えて、やっと、気がつきました。
「もしかしたら夢?」


夢なら覚めればいいだけのこと、さっさと逃げます。
「いち、に、の、さん!」
瞬時に、自分の部屋に戻ってきました。




あちらこちらで逃げてばかりの夢をみました。
多分、いろいろなこと、中途半端だから、こんな夢見るんでしょうねえ‥。



通勤途中にある樹木園で。(2016/02/19)


今年はまだ、咲いていません。
「早く、花がみたいなあ‥、」と思います。






老人ホームのフロアーで、(はじめに)

老人ホームに勤めて、9年近くになりました。


晴れた日には、朝や夕方、富士山が遠くにくっきりと見える、5階のフロアー。

カーテンを開けて、
「富士山が見えるわよ、」と声を掛けると、
「わー、」と声をあげて窓辺に駆け寄ってくるのは、ご自分で歩ける元気な方々です。


車椅子の方には、窓辺にお連れして、手を取って
「ほら、あそこよ、」と方向を教えます。
101歳のお婆さんは、いつも、
「ありがたい‥」と両手を合わせて、涙ぐむ‥。

                                      


私鉄沿線の線路沿いに建つ、大型の有料老人ホーム。
(要支援1から入居できる、認知症対応の施設です。)
                                   
ワンフロアーは30人前後。殆どが90代。
ごくまれに、70代の方もいますが、100歳を超える方もいて、平均年齢は90歳を超えています。


校長先生、弁護士、お医者さん。私鉄の日本初の女性運転士、知る人は知る舞台俳優。
沢山の子供を育て上げた大正時代の主婦。戦争で婚約者を失って独身で生きてきた、職業婦人。
過去には、特攻隊の生き残りだったという方もおりました。


生きてきた舞台は様々だけど、生涯現役でと、努力して生きてきた方ばかり、
(そして、少しだけ、生き過ぎてしまった‥。)


そんな方々が、
だんだんに、出来ないことや分からないことが多くなり、ある日、家族や後継者に連れられて、
プライドを秘めながら、不安げに、入居してくるのです。


           
お年寄りには環境の変化は受け入れがたく、入居したその日から平常心でいられる方など、殆どおりません。初日に体調を崩す方もいて、しばらくは油断大敵です。


納得して入ってきたはずなのに、家族が帰ると、直ぐに不安になるのも、皆、同じ。
スタッフを見つけては訴え続けます。
「ここは何処?」
「どうして、ここにいなければいけないの?」
「明日は帰れるんですよね?」
「電話、かけて下さい!」


「大丈夫ですよ、今日はここでお泊りしましょうね、」
「二、三日したら、又、ご家族来てくれますよ。」
「もう、遅いから明日の朝にかけますね。」


そんな会話を繰り返しながら、一週間、二週間、
朝、昼、夕と、フロアーで、先輩入居者と過ごしながら、いつしか、だんだんに慣れていく。
その時間を、スタッフは見守り続けます。


面会に訪れる家族も最初は不安げです。
「だいぶ、慣れた様子ですよ、」
「お話相手が出来ましたので大丈夫ですよ。」そう、お伝えすると、ほっとして、
「よろしくお願いします。」と言われて、帰っていく、
その姿をエレベーター前で見送ります。


「さあ、席に戻りましょうか、」
寂しげな利用者の手を引いて、フロアーの席に誘います。しばらくして、気がつくと、いつの間にか、声を出して笑ってる‥。
これもいつもの光景です。



出会いと別れが常に入れ替わるフロアーで、90年も違う人生を生きてきた人々が、笑ったり、少しだけ喧嘩したり、そして時には、涙して、
家族のように‥、
お友達のように‥、
暮らしていく老人ホーム。
     
誰もが通る、道すがら、


少し、生き過ぎてしまった方々の最後の日常を、共に生活しながら、少しづつ、
(ご本人だとは分からないように注意しながら、)追々に、

紹介していこうかと思います。


                      



夜勤明け 何時もの道で‥、

夜勤明け、
17時間も働いたその後で、時に残業が数時間。
いつもの道を、ふらふらと、半分眠ったように歩きます。


ふいに
呼び止められたように感じては立ち止まり、誰もいないと知ってはいるけど、見渡すと‥、

  

春の光のその先に、
スポットライトを浴びているような枯れ枝が。


「冬の間、落ちないで、春の光に出会ったんだねぇ‥、」と、
しばし見つめ合い、言葉を交わしたような気持ちになれる夜勤明け、
まんざらでもないようにも感じます。

これから、この道の先にある、日帰り温泉に。
数年来の私の習慣です。


でも、
大概は、疲れてそのまま眠ってしまうんですねえ‥、気がつくのは閉店の一時間くらい前。
大急ぎで温泉に入って、慌てて家に帰ります。
(帰りは時に、深夜バス)
                     
早く入ればいいものを。
もったいないなあ、とは思うけど、これがどうしてもできません。

                 
            (2016年2月19日の日記から。)





(思い出)夢見ヶ埼動物公園と白山古墳

二年前になりますが、二月の晴れた午後、春の気配に誘われて、川崎市の「夢見ヶ埼動物公園」に行きました。

江戸城の候補地だったという、小高い丸山を、掲示板を読みながら登っていきます。
登った先には、川津桜が咲いていました。

   

入口には「天照皇大神神社」があり、見晴らし台から先が無料の動物園。


ロバの写真撮りたかったけれど、お尻を向けたまま、動く気配もありません。撮らせてくれたのは、
「ペンギン」と、


「ラマ」だけ。

可愛いいレッサーパンダがいたけど、ピンぼけでボツ!


動物園の周りはは広い公園で、あちらこちらに猫がいて、ウトウト、日向ぼっこ。

昭和35年につくられた「戦没者慰霊塔」がありました。



歴史はさかのぼり、ここは、古墳群だったとか。

全体で11基の古墳があったことが、確認されているそうです。


9号古墳円墳の前に案内板と古墳群の地図がありました。
4世紀後半の前方後円墳で80メートル以上にはビックリ。
「白山古墳」と呼ばれています。
隣には7世紀の円墳。共に消滅。
しばし、たたずんで‥、
「白山古墳」の上に、のぼってはみたけれど、面影もなく‥、


その夜は、古墳の夢をみましたよ。                
春の日の、のどかな里の夢でした。

                 



誕生日は嫌い?(その3)


この映画、とても良かったです。
タヒチで描かれた絵の背景、現地の少女、テフラとの出会いと別れを描きます。
(本国には奥様と5人の子供、いるんですけどね。)

ゴーギャンの生き方、芸術家故に、ハチャメチャなんですが、気持ちよくわかる描き方をしています。
タヒチの景色も、少しトーンを落としたような色合いで、絵の鮮やかさが浮き上がります。
実際の作品と、映像がクロスして、映画は静かに展開していきました。


このポーズなをとりながらテフラは、教会に行く人々を眺めて言います。
「私、白い服を着て教会に行きたい‥、」ゴーギャンは、
「君には教会は必要ない」と。


描いた絵はまとめて本国に送りますが、売れません。テフラに食べ物も与えられない日々が続きます。
「お腹が空いた」というテフラに、
「分かっている、そのまま。」と言って絵を描き続けるゴーギャン。テフラの気持ちは徐々に離れて物憂げに。


ある日、ゴーギャンは、弟子でもある、隣人の息子との密会の現場を目撃することになります。
荷物をまとめ、テフラをつれて旅立つゴーギャン。
絵も描かず、港で働き続ける姿は憐れでした。テフラが逃げないようにと、部屋には鍵をかけて、
「妻を食べさせなくてはならない、」と。


やがて、病気が悪化したゴーギャンは本国に送り返されてしまいました。
テフラとは二度と会うこともなかったとか。
テフラはその後、どう、生きたのでしょうか?



終わった後は、シーンとして、皆、無言。
何を言ったらいいのだろう、と暫くは口を開けなかった。


しばらくしてから、
「悲しいねえ‥、」と言ったら、「泣いたの?」と顔、のぞき込まれました。
「だって、悲しいじゃない、売れない画家。」
「食べ物も食べさせられないんじゃ、逃げられるよなあ‥。」


その日は終日、映画の話題ばかり‥、
心に残る映画でした。



さて,
誕生日が終わった次の日、駅へ向かう道で聞いてみた。
「誕生日は嫌い?」
答えは、ビックリ、
「誕生日がなければ、年をとらない。」だって。
「それはないわよ、」と笑ったけれど、いまだに、年をとることが受け入れないとは、困ったオジサンです。
まあ、これは根源的な不安ね、深追いはしないことにしましょう。


今にね、年をとることが勲章のように思える日も来るでしょう、
「今年も誕生日、迎えられたね、」としみじみと、喜べる日がきっとくる。
その時までは、誕生日は、少しはしゃいで過ごしたい‥。