さくら、さくら 「釜の淵公園」

(2014/04/08)
思い出すのは、4年前。
梅で有名だった青梅に、梅ではなくて、桜を見に行きました。
行き先は「釜の淵公園」

大きく蛇行する多摩川の岸辺に作られた、夏は川遊びの人達でにぎわう公園です。



買ったばかりのりのテントをどこで使おうかと、あちこち探して見つけたこの公園。

“お花見半分、dayキャンプ半分“で行きました。


床下収納に入りっぱなしだった非常用の小さなコンロまで持ち出して、重い荷物を持って歩くオジサンとオバサンの二人連れ、今より少し若かったぁ~。


橋を渡って対岸の土手の上に咲いている桜並木の遊歩道。
少し、散りかけの桜が、ひらひらと緑の芝生に広がってとても綺麗だったわ。
(写真、なくてごめんなさい‥。)


「何と綺麗なの、」
うっとりする間もなく、川辺に降りて、まずはテントを組み立てて、出来上がったテントの中に入ったら、あら、あら、桜は見えません。
でも、暖かくていい気持ち。


桜を背に網焼きを始めたら、桜はすっかりそっちのけで、食べるのに夢中。
“花より団子“とはこのことね。


川の水音が静かに聞こえてくるような静けさで、まったり、のんびり出来ました。



あれから少し、年を取りました。
(もう、重い荷物、持ちたくないなあ‥、)





さくら、さくら (開花、早すぎて‥、) 

しばらくでした。
あちらこちらから、花だよりが聞こえるこの頃です。


開花宣言、出ましたね。(でも今年は少し早すぎた~💦)
勤めている、施設の近くの団地の桜は、少し、つぼみが膨らんで、お天気が続いたら、一気に咲きそうです。


(03/19日11:20)
通りの木にも、花が咲きましたよ。これも桜かな?                


(03/22日10:40)追加🌸
「やっぱりね、桜だわ‥、」                            

桜の種類は300とか。少し調べたけれど分かりません。

(名前、お分かりでしたら、教えて下さいね。)



一泊だけの「桜旅」4月1日に出かけます。でも、葉桜になりそうねぇ~。


少し早すぎたけれど、待ちわびた桜の季節がやってきた。
旅を待つ間に、ひとつ、ふたつ、みっつほど、桜の思い出を書いてみたいと思います。
(次回に‥、)





(さくら、咲く前に‥、)

いつも読んでくださってありがとう。


春待ちわびる心に、ある日、夏になりそうな勢いで、いたずらっ子のように春はやってくる。


夜勤明けにみた、昨日の空です。

初夏のような空模様。
(2018/03/10 西東京市 14:26)


青空の下、桜の木はつぼみを待っていました。
我が家の小さな庭の梅の木にも、花が咲きました。


        
春の足音を背に、
少しの間ですが、記事はお休みします。
桜、咲く前には、また、ね。





さくら、さくら(夜勤明けのひとり言) 

夜勤明け、何時もの帰り道。
毎年、花を咲かせる団地前の通りには、今年はまだ、花がありません。
顔も知らない、“花咲かせ人“ のことが気にかかります。


「引っ越してしまったのかなあ‥、もしや、病気なの?」



コンビニで、桜の表紙が目について本を買いました。
「一度は見たい!桜の絶景(首都圏版)ぴあ」
ぶらぶらと、歩きながらページをめくって、まずは整骨院に。その後は、何時もの日帰り温泉に。


日帰り温泉の休憩処で、ビッククッションに体をうずめながら眺めます。

そういえば、職場で‥、
「退職したら、春は桜を追って北に旅をして、秋は紅葉を追って南に旅をする。そんなふうに暮らしたい。」と言っていた人がおりました。
でも、体悪くなって辞めたんだったね、今頃、どうしているんだろう‥。


人手不足の介護職。
役に立ちさえすれば年齢はあってないようなもの。多少きつくても、中高年には穴場の仕事です。
過去には、利用者と間違えられそうな人もおりました。
私も70才位までは(いいえ、秘かに、それ以上‥、)頑張れそうな気がします。


だったら、まずは、健康に気を付けて。老後も、仕事も、終活も、みんなミックスで生きて行くのも悪くない。
〇十年後、“muragon“ の最高齢者、目指そうか‥?



桜はね、欲張らないで、毎年、一カ所づつでも見ておこうかと思います。
いつも、シフトとお天気と開花情報を見比べて、大騒ぎするお花見だけど、今年は、どこの桜に会えるでしょうか?


出来たら、一泊でいいのでね、「桜旅」がしたいなあ、と思います。





老人ホームのフロアーで、「〇〇 sada様」

100歳で亡くなった、綺麗なおばあさんのお話です。


まだ若い頃、突然、目の前でご主人を亡くしてしまったsada様は、めげずに五人の息子を育て上げたものの、その日の悔しさを生涯忘れられずにおりました。
元気だったご主人が、注射を打った瞬間に死んでしまったというのです。
sada様は、医者のミスだと信じて疑わないのですが、その当時のこと、誰も分かりません。


願いは、一日も早くご主人の側に行くことでした。


ご主人の月命日が近づく度に、
「その日に死にたい、」と、食事をとらずに頑張ります。
その日が過ぎると、諦めてまた、食べる。
そんな日々が何年も続いていました。


「どうしたら、早く死ねるの?」と聞かれた時に、私は
「ご飯食べた方が、早く死ねるのよ.。」と答えました。
「そんなあ、」
「本当よ、sadaさんのしていることは、絶食健康法。内臓丈夫だから、ますます元気になってしまうわよ。」


「どうする?、今日は食べる?」というと、
「うん」と頷いた。


車椅子に乗せると、自分で髪を整えて、自走してにこやかにホールに出てきて、食事がすむと、一人で部屋に帰っていく。
「準備が出来たら、ナースコール鳴らしてくださいね。」と言っても自分でベットに移動してしまい、時々ベットや車椅子からずり落ちたりして、その度にスタッフは注意不足を叱られた。


「こんなにきれいな100歳見たことないわ、」と、顔を覗き込むと、
「綺麗なもんか、こんなばばあ、早く死ねばいい。」と憎まれ口も忘れない。


いつしか、そんな元気もなくなって、最後の日々は、ナースコールを握りしめて、ベットの中にいた。
昼も夜も、隙間なく、コールを鳴らしながら、か細い声で、色々なことを訴えて、聞いてもらうと両手を合わせて、
「早く、お墓に入れて下さい。」と訴える。


最後に会った日に、
「スッキリして死にたい」と頼まれた私は、どうにか、トイレに座らせた。
トイレで、「ありがとう、ありがとう」と拝まれたけれど、
sada様、次の日の朝に逝ったんだったわね‥。


休み明けに、sada様がご主人のもとに帰られたことを知った時、私は、
口には出せないけれど、とても、とても、嬉しかった。
「良かったね、sadaさん。本当に良かったね‥、」


人の願いは様々です。