夜勤明け、何時もの帰り道。
毎年、花を咲かせる団地前の通りには、今年はまだ、花がありません。
顔も知らない、“花咲かせ人“ のことが気にかかります。
「引っ越してしまったのかなあ‥、もしや、病気なの?」
コンビニで、桜の表紙が目について本を買いました。
「一度は見たい!桜の絶景(首都圏版)ぴあ」
ぶらぶらと、歩きながらページをめくって、まずは整骨院に。その後は、何時もの日帰り温泉に。
日帰り温泉の休憩処で、ビッククッションに体をうずめながら眺めます。
そういえば、職場で‥、
「退職したら、春は桜を追って北に旅をして、秋は紅葉を追って南に旅をする。そんなふうに暮らしたい。」と言っていた人がおりました。
でも、体悪くなって辞めたんだったね、今頃、どうしているんだろう‥。
人手不足の介護職。
役に立ちさえすれば年齢はあってないようなもの。多少きつくても、中高年には穴場の仕事です。
過去には、利用者と間違えられそうな人もおりました。
私も70才位までは(いいえ、秘かに、それ以上‥、)頑張れそうな気がします。
だったら、まずは、健康に気を付けて。老後も、仕事も、終活も、みんなミックスで生きて行くのも悪くない。
〇十年後、“muragon“ の最高齢者、目指そうか‥?
桜はね、欲張らないで、毎年、一カ所づつでも見ておこうかと思います。
いつも、シフトとお天気と開花情報を見比べて、大騒ぎするお花見だけど、今年は、どこの桜に会えるでしょうか?
出来たら、一泊でいいのでね、「桜旅」がしたいなあ、と思います。
100歳で亡くなった、綺麗なおばあさんのお話です。
まだ若い頃、突然、目の前でご主人を亡くしてしまったsada様は、めげずに五人の息子を育て上げたものの、その日の悔しさを生涯忘れられずにおりました。
元気だったご主人が、注射を打った瞬間に死んでしまったというのです。
sada様は、医者のミスだと信じて疑わないのですが、その当時のこと、誰も分かりません。
願いは、一日も早くご主人の側に行くことでした。
ご主人の月命日が近づく度に、
「その日に死にたい、」と、食事をとらずに頑張ります。
その日が過ぎると、諦めてまた、食べる。
そんな日々が何年も続いていました。
「どうしたら、早く死ねるの?」と聞かれた時に、私は
「ご飯食べた方が、早く死ねるのよ.。」と答えました。
「そんなあ、」
「本当よ、sadaさんのしていることは、絶食健康法。内臓丈夫だから、ますます元気になってしまうわよ。」
「どうする?、今日は食べる?」というと、
「うん」と頷いた。
車椅子に乗せると、自分で髪を整えて、自走してにこやかにホールに出てきて、食事がすむと、一人で部屋に帰っていく。
「準備が出来たら、ナースコール鳴らしてくださいね。」と言っても自分でベットに移動してしまい、時々ベットや車椅子からずり落ちたりして、その度にスタッフは注意不足を叱られた。
「こんなにきれいな100歳見たことないわ、」と、顔を覗き込むと、
「綺麗なもんか、こんなばばあ、早く死ねばいい。」と憎まれ口も忘れない。
いつしか、そんな元気もなくなって、最後の日々は、ナースコールを握りしめて、ベットの中にいた。
昼も夜も、隙間なく、コールを鳴らしながら、か細い声で、色々なことを訴えて、聞いてもらうと両手を合わせて、
「早く、お墓に入れて下さい。」と訴える。
最後に会った日に、
「スッキリして死にたい」と頼まれた私は、どうにか、トイレに座らせた。
トイレで、「ありがとう、ありがとう」と拝まれたけれど、
sada様、次の日の朝に逝ったんだったわね‥。
休み明けに、sada様がご主人のもとに帰られたことを知った時、私は、
口には出せないけれど、とても、とても、嬉しかった。
「良かったね、sadaさん。本当に良かったね‥、」
人の願いは様々です。
二年前のまだ桜には早い三月の晴れた日。
🌟「鎌倉に行きたいね、」
👒「小町通りで食べ歩きしたいな、」
🌟「hikingがしたい。」
👒「じゃあ、両方ね。」
“小町通りの食べ歩きと祇園山のhiking“に出かけました。
<先ずは、食べ歩きから>
✩コロッケ ¥200×2
✩はんなり稲荷¥250
✩焼きたてせんべい¥50×2
✩クレープ¥300
✩カジキマグロの串焼き¥300
コロッケとお煎餅は一つづつ、後は半分づつ食べて、ランチ代わりの食べ歩きはこれでお仕舞い。後は帰りにおやつでもう一度。(笑)
<次は、hiking>
羽島神社の境内から、スタートです。
最初からアップダウンの山道を登ります。
15分程で、見晴らし台に着きました。
空は晴れていい気持ち。
三人連れの男の子が元気にやってきて、直に、駆け抜けるように去っていきました。
少し、休んで、元気な男の子達の後を追うように、山道を歩きます。
「山の中、写真撮ると、どこも同じような風景なのね、」
「これどこだ、と聞かれても分からない。」
到達地点は、「高時首切りやぐら」です。
一時間以上歩いて、山道が終わるころに着いた、そこは、鎌倉時代の終焉の地。
北条一族、八百七十余人自害には絶句しました。
少し先に、祠がありましたが、何とも不思議な雰囲気で‥、むやみに近づいてはいけないと、合掌して通り過ぎました。
急ぎ足で、鶴岡八幡宮まで降りてきました。休憩所で一休み。
ほっとして、
「ソーセージ食べるんだったわ、」と、思い出し、もう一度、小町通りに向かいます。
✩「腸詰屋」のソーセージ¥300×2
✩牛饅も見つけて買いました。¥500
「今日は食べることしか考えていないわ、」
「そういう日があってもいいんじゃないの。」
「食べたいもの、だいたい食べたわ。」
まあ、満足かな?
今日から4日間、連休です。
「初日はゆっくりでいいわ、」と二度寝したら、久しぶりに夢をみました。
どこで知り合ったのかは分からないけれど、どこかの旅行グループと一緒に夜桜をみて、何となく、仲良くなりました。
成り行きで、宴会の席に参加することになったのだけど、
自己紹介をするという時になって、このグループは、外国語のサークルだということに気がついた‥。
おっと、大変、私、話せません。でも、何語なの?
見渡すと、何故か側にパンフレットが。(夢ですから‥、)
覗いてみたらアラビア語でした。
やったねぇ~、アラビア語!
「ギリギリセーフだわ。」
昔、昔、二十数年前。
息子が小学生になった年に、ほんの思い付きで習ったことがあるアラビア語。自己紹介位は出来るはず。
「初参加の方から、」と言われて、
「アッサーラーム.アレイクム。」
でも、これだけじゃダメね、何か言わなくちゃ‥、
あれー、動詞の変化がわからない。
もたもたしながら、皆の視線で気がついた。ここは上級クラスだったったんです。💦
と、その時、
「〇〇さん、おりますか~、」
「ハイ、私です」
「職場から伝言です。発注ミスで、キャベツが130個、届いたそうです。“大至急戻って下さい!“ とのことでした。」
もちろん、直ぐに逃げ出しましたよ、旅の恥はかき捨てです。
(でも、どうして私の居所わかったの?)
ところで‥、
キャベツが130個って何のこと?
ああ、そういえば‥、
思い出しましたよ、20年近く前のこと。
(でも130個ではなくて、13個だったわ。)
私、数年間、某とんかつ店の路面店の店長していましてね、
3個発注したはずのキャベツが13個届いたことがあったんです。
近隣のお店に片っ端から電話して、なんとか、引き取って頂けましたけど、朝から大忙しでした。
さて、夢の中。
道に迷いながら駅には着いたけど、駅の路線図を見ても、見覚えもなく。
「ここはいったいどこで、今はいつなのだ~、」
と考えて、やっと、気がつきました。
「もしかしたら夢?」
夢なら覚めればいいだけのこと、さっさと逃げます。
「いち、に、の、さん!」
瞬時に、自分の部屋に戻ってきました。
あちらこちらで逃げてばかりの夢をみました。
多分、いろいろなこと、中途半端だから、こんな夢見るんでしょうねえ‥。
通勤途中にある樹木園で。(2016/02/19)
今年はまだ、咲いていません。
「早く、花がみたいなあ‥、」と思います。