(思い出)ぶらり秩父旅.2「レトロな番場町」

西武秩父駅に着きました。
仲見世通りは工事中。(2016年05月12日時点)

「温泉施設が出来るそうよ」
「ふう~ん」


棚田でゆっくりしすぎたので予定のバスは行ったあとでした。
(今日は、ミューズパークのその先の、民宿に泊まります。)


「次のバスまで1時間少しあるけど、どうする?」
「coffeeが飲みたいな」
「馬場町に、行ってみない?」


“番場町“は秩父神社の参道です。大正後期から昭和初期にかけて建てられた、モダンな建物が多く残されていると知り、寄ってみたいなあ、と思っていました。


(lucky!.な展開ね、)と、表通りを歩いて、何となく、
「多分、このあたり?」と横道に入ります。
バス停のベンチにお婆さんが座っているのに気がついて、近寄って聞いてみました。
「番場町は、このあたりですか?」


お婆さん、ニコニコ顔で、
「この道、真っ直ぐ行ったら直ぐに、石の道があるから、そこから先が馬場町、」と教えてくれました。


ほんの30メートル歩くと、石畳の道はありました。
片山医院、

小池煙草店、

安田屋、ワシントン靴店 パリー食堂。レトロな建物ばかりでそこは別世界。
coffeeはそっち抜けで、あちらこちらと歩き回って、ふと見ると、


koujiさんは、ただただ座りたいご様子で‥。
「そうそう、喫茶店だったわね‥、探しましょう。(笑)」


道の向こうに秩父神社の鳥居が見えるころ、古い喫茶店がありました。秩父で一番古い喫茶店。何と操業50年。

中はレトロでしたねえ、

coffee二つ注文して、「時間は?」と聞いたら、
「4時すぎだ、ちょうどいい。」
お話しながらゆっくり、coffeeを飲みました。


16:30分過ぎ、
「そろそろ行こうか、」と店を後に。


ベンチの前で、
「ここで道聞いたんだったね。」と、
つい、さっきのことなのに
「一生懸命教えてくれたわ‥」とお婆さんの姿が懐かしく、


(番場通り、もう一度、ゆっくり来なくっちゃ‥、)と思いながら、
16:55分、西武観光バスに乗りました。


予定より2時間遅れで宿に向います。
(つづく、)




(思い出)ぶらり秩父旅.Ⅰ「寺坂棚田」

(二年前のことですが‥、)
風香る五月、二泊三日の、“のんびりぶらり秩父旅“。
思い出しながら、綴ります。


/2016/05/12 (木)
池袋駅待ち合わせ。
10:30 池袋発、11:43分横瀬着の秩父11号。
「がら空きだな」「ホントね、平日はこんなものかしら」
電車は出発しました。
「さあ、旅の始まりね、」


一日目の予定は、武甲山を中心に連なる山々が背景の、

koujiさんは、ここでスケッチをします。


さて、

横瀬駅に着いたけれど‥、

駅前に地図が見当たらない。棚田はどの方向?


駅横にある、山小屋風の、“売店・食事処“のおばさんが、壁にある地図を長い棒で指して、
「丸山鉱泉を目指していくように 、」と教えてくれました。


小学校、町役場、郷土資料館、
サンクスがあったので、お弁当を買おうと入りました。


「食欲あまり、ないんだよ」と、koujiさん。
「後でお腹すくわよ」
「それじゃあ、これか。」と、ハンバーグ弁当を二つ購入。


棚田への道を急ぎます。
「今日は熱いなあ。」


(12:27)

川がありました。

「川辺に降りて食べようか、棚田に日かげ、ないかも知れない。」

    

「あれ、見て」
「東屋だ」
橋を降りる階段の先に、川辺に降りる橋があり、絶好の休憩所がありました。


お弁当を頂いて、暫く休憩です。

    

カメラを向けたら、おどけたポーズ。今日はご機嫌ね。

    

(手が大きいね。手の大きい男は優しいそうよ、当たってる?)


(13:13)
10分程歩いて、棚田に着きました。掲示板の向こうには、武甲山と、まだ殆ど水の入っていない田んぼが連なっています。

    

早速、場所を決めて、

    

早々に絵を描き始めます。

    


私は、ぶらりぶらりと棚田を眺めてから、隣に行ってみましたが‥、
そこは段差のあるあぜ道の際。座り心地が不安定なうえに下はぬかるみで、居眠りでもしようものなら、運動神経が鈍い私は、落ちてしまうでしょう‥。恐くて退散です。


(どうして、こんなところで描けるのかしら?、というより、どうしてこんなところで描くの‥、?、?、?、)


仕方なく、屋根と椅子のある、見晴処で棚田を眺めて過ごしましたよ。

             

日差しは強いけれど、緑が眩しく、とても気持ちのいい光景です。

飽きることなく眺めていました。


絵がひと段落したらしく、koujiさんがやってきた。
「ずっとそこにいたの?」
「そうよ、絶景だわ‥。」


「絵は?」
「今、乾かしてる。」

      


暫く一緒に棚田を眺めて、
「そろそろ、行くか、」
「横瀬発、15:29分に間に合うわ。」
「じゃあ、準備する。」


横瀬駅から一駅だけ乗って、西部秩父駅に。その後、宿に向います。
(続く、)





老人ホームのフロアーで、「dandy.○○(その3)」

「春」

「何だかdandy、急にレベル落ちてきたと思わない‥?」
「〇〇〇、抜いたからじゃないかな。」と某スタッフ。


アルツハイマー型認知症の進行を抑制する薬「〇〇〇」
服用を中断した理由は、副作用を心配されたご家族からの要望でした。


副作用を受け入れて、認知の進行を少しでも遅らせるか、副作用で苦しまないようにと、薬を外して自然に任せるか。どちらを本人は望むでしょうか?
ご家族の希望が優先です。


認知が進んでからのdandyは、自分の部屋が分かりませんでした。廊下を歩いているうちに、どこかの部屋に迷い込んでしまいます。時にはそこで、放尿をしてしまうこともあり、大騒ぎになりました。


dandyがよく間違えたのは、綺麗好きな「〇〇俊雄氏」の部屋でした。
(寄りによって‥、運が悪いというか‥、)


防衛庁勤務だった俊雄氏は、お部屋は整然としています。トイレも洗面台もいつもピッカピカ。
どこを触って歩いてきたか分からない、dandyが部屋に入るなど、我慢出来ないことでした。


dandyはののしられ、殴られそうになり、スタッフは注意不足を叱られます。
「ごめんなさい、ごめんなさい」と謝って、dandyをフロアーに連れ帰り、敏夫氏の部屋は丹念に消毒して、なんとか、怒りを鎮めていただいくしかありません。



テレビ前のソファーに誘導しても、しばらく経つと、歩き出すdandy。


「dandyはどこ~?、」
「今、廊下歩いてるからね、部屋に入らないようにみていてよ~。」
フロアーには、スタッフの声が、いつも響いていました。


「夏」

夜の7時過ぎ。夜勤者は就寝介助に大忙しの時間です。
その日、遅番だった私は、食事の後片付けを終えて、フロアーの床掃除をしていました。


dandyは、考える人さながらに、フロアーを徘徊しては立ち止まり、時々考え込んでは、また歩き。


(自由に歩けるのはこの時間だけだもの、のんびり歩かせてあげたい。)
と、dandyの姿を目で追いかけて、ナースコールに対応しながら、お掃除を続けていたのですが‥、


モップを絞って、ふと見ると、
ほんの1~2分前にはそこにいたのに、dandyは、フロアーにはいなかった。
「dandy、どこ?」


「dandy、見なかった~、」
夜勤のスタッフに声を掛けて、廊下を走って、部屋をすべて確認します。トイレやクローゼット、ベットの中やカーテンの後ろも確かめたけれど、どこにもいない。


(もしや、4階。あるいは3階?)


就寝時、看護師が3,4,5階と、最後の巡回で上がってきます。エレベータが開いた隙に下に降りてしまったのかも?、


階段を駆け下りて、4階、そして3階に。
「dandy、見なかった?」
「みてないよ~、」
調べてもらったけれどいませんでした。


2階は、ショートステイとグループホームが2ユニット。それぞれ小人数なので、紛れ込むはずもないけど、声を掛けて、そのまま1階に駆け下りて‥、


事務室。休憩室、更衣室、機械浴のお風呂場と調べます。
電気の消えた、デイサービスのホールまで探したたけれどいませんでした。全滅です。
(こんなことがあるだろうか‥。)


出入口はロックがかかっていて暗証番号を押さない限り開かない。
(いったい、どこにいるんだろう‥。)


「まてよ?」と、深呼吸して考えます。
(dandyから目を放したのは、わずか1分ほどのこと。その間にいなくなったんだから、絶対にフロアーにいるはずよ。)


フロアーに戻って、見渡してみました。
(カーテンが怪しい‥。)


dandyは時々、カーテンの後ろに隠れることがあるのです。でも、いなかった‥。
(?、どこだろう‥、)


その時、
常に閉まっているはずの、ベランダの鍵が開いているのに気がつきました。
「これか!」


この建物は、各階、周りが全てベランダで、歩けばぐるぐる回れます。でも、dandyは、一人でベランダを歩いたことはありません。
(きっと近くにいるはずよ。)


いました!
五階からの夜景が恐かったのか、外を見ないように、壁にへばりつくようにして、立っていました。


「dandy、大丈夫?」
大きな体ががぶるぶる震えていました。何がどうしたのか、分からずに、ただ、じっと立っていたのでしょう、恐かったのだと思います。


「気がつかないで、ごめんなさい。無事で良かった‥、今日はもう、休もうね、」そう、言うと、不安そうにうなづいた。


とりあえず、良かった~!



(それにしても、鍵をかけ忘れたのは誰?
もう!!、)


「秋」

認知が進むと、体の機能も衰えてきます。dandyは、いつしか、体が硬くなり、歩行も不安定で、車いすが必要になってきました。食事も声掛けしながら、時に介助が必要です。


私は、お洒落だった頃のdandyを思い出しながら、ズボンにベルト、セーターやお洒落なシャツを、段ボールに入れて仕舞いました。


そんな中、
入所当初から申し込んでいた、特別養護老人ホームの順番待ちが回ってきたdandy。引っ越し日も決まりました。


「もう少し、早く決まれば、ねえ、」
「今、移ったら、移動したことさえ分からない。混乱するだろうなあ‥。」
スタッフ同士の会話です。


利用料金が半分以下になる特養ですが‥、認知症には環境の変化は受け入れがたく、時に混乱が増すばかり。
(もっと早ければ、あるいは、もう少し、後だったならなあ…。)と、毎回のように思います。


順番は、都合よく、ちょうどいい時期には回っては来ないものです。


冬が近づいたある日。

数日後に引っ越しのdandyに話しかけてみました。
(通じるかなあ‥。)


「dandy、もうすぐ、お引越しだって、」
「ふう~ん。」とdandy。


「dandy、私におこずかいくれると言ったの覚えている?、」
「そうかい?」


「私、まだ、もらっていないんですけど‥。」
「そうだったかなあ‥?」


「冗談よ~、冗談です。dandy、元気でね。」
「元気だよお~。」


ぼんやりとした表情で、それでも、少しだけ笑ってくれましたね。


これが、dandyと交わした、最後の会話です。dandyは、私がお休みの日に引っ越して行きました。


あれから、数年が経ちました。
dandyはどうしているのでしょうか?
(多分、今頃は、きっと、
もう、虹の橋を渡ったよね。認知症からは、解放されたはず‥。)


dandyの明るい笑顔が浮かびます。





老人ホームのフロアーで、「dandy.○○(その2)」

dandyのお話を続けます。
それは、ある年の暮れ、12月30日の早朝のことでした。


廊下を行ったり来たりしていたdandyに私は、
「dandy、おはよう。転ばないように気を付けてね。」と声を掛けて、慌ただしく、あちらこちらの部屋に入っては、一人、二人と起床介助を続けていました。


ふと、見ると、dandyは床に座っていました。
体育座りで、じいっと、不思議そうに、自分の手を眺めています。


「どうしたの、dandy、転んだの?」と近寄ってみて、もう、ビックリ!
指が、指が、指がぁ‥!
こともあろうに、ぶらりと折れて、しかも、裏返しになっていたんです。


(そ、そんな‥、)
「バイタル、バイタル!」と、とバタバタバタと廊下を走ります。 
                                        
血圧、脈拍、体温、酸素濃度。
どれも異常はありません。痛がる様子もなく、じっと、指をみているdandy。
(このままじゃやダメだわ、車椅子に乗せなくちゃ、)


ところで…、
立ち上がることの出来ない大柄な男性を、座った状態から、椅子に座らせるのは、女性一人では難しい。私は腰を何度も痛めてる‥。
(でも、やるしかないわ。)


「dandy、車椅子に乗るわよ、いい?」
掛け声をかけて、立ち上がらせて、気がついたら、dandyは車椅子の上でした。



エレベーターの開く音がしました。早番の看護師が5階に上がってきたようです。応急処置をしてもらわなきゃ、と、大慌てで連れて行くと、  
         
「これは、どうしょうもないね、救急車、呼ぶしかないよ。」とたった、一言。


(はあ~、coolだねえ‥、)


とにかく、と、
救急車を手配して、大急ぎで、あれやこれやと準備をします。生活記録、個人ファイル、保健所のコピー、携帯。
(事務所はまだ出勤していないから、帰りの交通費は立て替えね。お財布の残高は…、O.K。入院に備えて、シャツとデイパンツも必要よ。)


救急車は5分後には着きました。
「直ぐ、降りてきて下さい。」と言われて、dandyにコートを着せて、半袖の制服にエプロンのまま、救急車に乗り込んだ…。



救急隊員は矢継ぎ早に質問をしてきます。生年月日、身長、体重。その時の状況、既往症の有無。入院歴等々。アチコチ、書類を見ながらどうにか答えて、合い間に、dandyのご家族と、まだ出勤をしていなかった施設長に連絡をします。


「病院が決まったら、また、連絡します。」と伝えたけれど、そこからが長かった‥。


手術が必要だと判断した救急隊員が、次々と病院をあたります。でも、暮れの30日に、緊急の手術を受け付けてくれる病院は見つからず。


7時前から、救急車の中にいたのに、病院が決まったのは9時半を過ぎていた。しかも決まった病院は遠くって‥、
着いたのはもう、お昼前。


病院では検査で待たされて、更に1時間。検査室の前で、トイレを我慢して待って、お腹もペコペコ。暮れの30日に、半袖のポロシャツ一枚の私。
寒い、寒い。


結果を職場に連絡しなければならないから、と、しびれを切らして、検査室をノックしてみました。

「すみませんが‥、あの~、どうなったでしょうか‥。」


そうしたら、あっさり、
「脱臼でしたよ。」ですって。


(はあ~、?、?、)
一瞬で、力が抜けましたね。


「で、今、どこに?」
「ご家族が来られて、会計済ませました。帰られるところだと思います。」


(えぇ~、私、ずっと待っていたんですけど‥。いったい、どこでそうなるわけ?)


駐車場まで追いかけて、


「私も乗せて下さ~い。」と、娘さん夫婦の車にギリギリセーフで乗り込んで、一緒に施設まで帰ってきました。


施設に着いたのは午後3時。
夜勤から数えて、23時間の長い勤務は、ようやく終了です。
疲れましたねえ~。


dandyは少しも痛くないようで、何が起きたのか、最後まで理解していない様子でしたよ。


老人ホームでは次から次と、日々、待ったなしに、いろいろなことが起こります。dandyの出来事は、ほんの一例です。


次回はdandyのその後のお話を。



(つづく)  



 

老人ホームのフロアーで、「dandy.○○(その1)」

数年前に特別養護老人ホームに引っ越して行った、通称「dandy.○○」のお話です。
9年前、私がスタッフになった時、dandyはすでに、施設の人でした。


大柄で、優しい顔立ち。穏やかな口調と柔らかな笑顔。
初めて会った時、dandyは、twoタックのズボンにベルトを締めて、お洒落なカラーシャツを着ていました。
「こんな人がどうして、ここに入っているのだろう?」と、私は不思議に思ったものです。



dandyは、認知はあるものの、少しも手がかかりません。
南北と東に長い、施設の廊下を行ったり来たりして、外を眺めては、うとうとして日長、時を過ごします。
スタッフは、そんなdandyのために、北と南に、そして東にも、突き当たりに椅子を置きました。


朝は早くに起きてきて、ニコニコと、英語でごあいさつ。海外勤務が長かったdandyは、片言英語が話せました。
「何だか、日本語より上手ねえ、」
アルバイトの学生さんが、時々、英語の絵本を使っては、話し相手をしていましたね。



他の利用者に話しかけられると、少しも話がかみ合ってはいなくても、
「そうか、そうなのかぁ…、」と耳を傾けるdandy。


小柄の゛HARUKOさん゛が、寂しくなるとよく、側にきていましたねえ。
゛HARUKOさん゛は、
「そうよ、そうなのよ~、だから、そうなのよ~、」といい、dandyは、
「そうなのか~。それはたいへんだなあ、そうだ、そうだ、大丈夫だよ。」と返します。


中身は何もなくて、掛け声だけの会話です。でも、お互い、心で聞いて、気持ち、伝え合っているんですね。


大きなお爺さんと小さなお婆さんさんが、ソファーで並んで話している様子は、とても微笑ましいものでした。



そんなdandyだったけど、認知が進んだら、困ったさんになってしまって‥、
(言ってもいいのかなあ‥、)


実は、
所かまわず、おしっこするようになってしまったんです。いわゆる、放尿です。


お部屋にはトイレ、ついているんですけどねえ。
朝、「おはよう」と部屋に入ったら、まあ、大変。床中水たまり状態で…。


私、居室担当でしたのでね、出勤の度に後始末していましたよ。
もう、バケツ、何十杯分処理したことか‥。
雑巾で拭きとって、消毒して、バケツを替えて、また拭いて‥、
匂いがなかなか抜けなくて、困りましたね。



「dandy、これじゃあ、私、別料金頂かなくちゃ合いません。」と、ふざけて言ったら、
「いいよ、こずかいあげるよ。いくら?」ときた。


「生涯保証で、100万円。」
「それは高すぎるなあ~。」
「じゃあ…、1年サービスで、10万円ではどう?」
「今、持ち合わせがない。」
「じゃあ、今月分だけね、1万円。」
「それなら何とでもなるさ、今すぐ、下の事務所でもらってくるといい。」だって。


(いつもは、支離滅裂なのに、突然、回線が通じるように、普通に会話ができるときがあるのが認知症の不思議なところです。)



優しいdandyを、少しづつ、困ったジイサンに変えていく、認知症。やっけられるものなら、やっつけたい…。


「これじゃあ、dandyとは呼べないなあ、」
そう言いながらも、私たちはずうっと…、dandyが大好きでした。
(つづく、)